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夕飯の支度が整ったころ、丸山の父親から電話がかかってきた。自分の息子がソラ、谷村、それに加治川の息子の治を連れて小竹市に出かけたというのだ。
「岩飛さん、ありがとうございます。感謝、感激です。あとは大船に乗ったつもりで待っていてください。息子たちは必ず“ホームラン・バット”を持って帰ります」丸山さんの声は自信に満ちていた。「あなたのお陰ですよ。ホームラン・バットの在り処をインターネットで見つけるとは、いやあ、参りました。これでやっとこどものころの夢が叶います。あのバットを手に入れることができるなんて信じられませんよ。明日の試合はビーバーズのホームラン攻勢で圧勝ですわ。岩飛さんもホームラン・バットが火を噴くところを写真にとって、ビーバーズ新聞にデカデカと載せてやってください」
丸山さんはわたしのことなどお構いなしにしゃべり続けた。
「どういう話かといいますとね、夢のようなバットを作る職人が小竹市にいる、という噂が広まったんです。岩飛さんもこの街のご出身ですよね。だからお聞きになったことがあるでしょう。わたしたちがこどものころのことですよ。職人芸というか、きっと名人の域に達していたんでしょうなあ。日焼けした浅黒い顔です。ちょっとはげ上がった額がテカテカと光っていて、髪の毛をお侍のようにうしろに束ねている。相手の心を見とおすような鋭い目をしているわけです。怖いでしょう?」
丸山さんはわたしに感想を求めているわけでもなかった。
「聞けば聞くほどホームラン・バットの存在を信じさせるに十分な存在感を放っている。何としてもバット職人に会ってそのバットを貰いたい。わたしはそう思うようになったんです。すぐに近所の友達と小竹市を探し回りました。でもバット職人はどうしても見つからなかった。悔しいといったらありません。だから今ごろになって、ホームラン・バットを持って帰ると息子から言われても信じられなくてね。いったいどうなってしまったんだろう、と思うわけですよ」
丸山さんはそう言って笑った。心の底からホームラン・バットの存在を信じているようだった。しかしどうして丸山さんのような“いい大人”が、そんなこどもじみた話を本気で信じることが出来るんだろう。
わたしはとうとうと話し続ける丸山さんの話に割って入ると言った。
「わたしもそんな噂話が広まったのをおぼえています。わたしが見つけたホーム・ページにも小竹市まで来いと書いてあった。それだからといって、ホームラン・バットがあるとか、バット職人が実在するとか、そんな風に考えるのは無茶ですよ。そんなことより、丸山さん、こどもたちが心配じゃないですか?こんな夕方から出かけて行ったんですよ」
わたしはいつの間にか大きな声で話していた。
「心配?息子たちはちゃんと帰ってきます。それにこれは夢じゃない。ホームラン・バットは本当にあるんですから」
丸山さんの気持ちは、わたしが何と言おうと揺らぎそうになかった。
受話器を置いても、耳のあたりがジンジンして、丸山さんの甲高い声がしばらく頭の中から離れなかった。
「本気でホームラン・バットがあると信じているのかな?」わたしは妻のまさこに言った。
「あなたがいけないのよ。変なホーム・ページを教えたりするから」
まさこは台所から顔をのぞかせると言った。
「ソラたちも、そんなことを考える暇があったら、もっと練習に身を入れるべきだよ」
「まあ、そうだけど。でもかわいいじゃない。まだこどもなのよ」
「いまごろどこをほっつき歩いているんだろう?」
「迎えに行ったほうがいいわね。こどもたちだけじゃ心配だわ」
「そうだな」
わたしは急いで支度をすると家を出た。
小竹駅のホームに下りると、西日が作る陰はぼんやりしていた。やがて訪れる夕闇のなかにいまにも飲み込まれそうになっていた。
駅の南側は石油コンビナートが広がっていた。その先は海だ。雲をつくような煙突からオレンジ色の炎が噴き出して、工場全体を明るく浮かび上がらせていた。小竹市はむかしからの工場のまちだった。
駅の北口のロータリーには、行楽帰りの家族連れがタクシーやバスを待って長い列を作っていた。その横には小竹市の地図が大きな看板に描かれている。どこの駅前にもよくあるやつだ。地図の上半分は山と少しばかりの平地、下半分が海だ。海側には点々と大小の小島が広がっている。山と海の境界を縫うようにしてJRの線路が走っていた。
わたしはロータリーを横切るとまっすぐ山手の方向に歩いた。駅前の商店街は思いのほか短くてすぐに途切れた。急な上り坂になった。人通りはめっきり少なくなり、大人のわたしでもちょっと心細く思うほどだった。
しばらく息を切らせながら坂道を登った。やがて目の前には平地が広がって団地のなかに入った。大きな道路をはさんで両側にはたくさんの家が整然と軒を並べていた。典型的な団地の風景だった。スーパー・マーケットの建物の角に“夢が丘一丁目”と書かれた標識が貼ってあった。もしかしたら、こどもたちがいるかもしれないと思って覗いたが、残念ながら買い物客はひとりもいなかった。七時を回ったばかりだというのに店内にはすっかり店じまいの雰囲気が漂っていた。
あのホーム・ページを見せなければよかった、とわたしは後悔した。まさかこどもたちがあんな話に乗るなんて思いもよらなかった。黙っておけばこんなことにはならなかったのだ。
人気のない通りを歩きながら、わたしは丸山さんが話してくれたバット職人の話と、ホーム・ページに書いてあった男の話のことを考えた。二つの話をいっしょにして、想像をたくましくした。ひとつの絵にしようと、まるでジグソーパズルをするように、小片(ピース)をひとつひとつ組み合わせていった。たとえばこんな風にだ。
こどもたちは小竹市にやって来て、やっと目当ての家を探し出す。四人は横一列に整列して、大きな黒いドアを見上げる。そして玄関先のチャイムを押すのだ。期待と不安で胸がいっぱいになる瞬間だ。しばらく待つと、家の中から咳き込むような声が聞こえてくる。ドアが開き、男がバットを手に持って現れる。しかし丸山さんが言うような“ちょんまげ姿”ではない。頭の禿げ上がった老人だ。申しわけ程度に残った髪は真っ白で、頬はこけ、骨ばったガリガリの体をしている。年は優に八十歳を超えている。目はらんらんと輝き、眼窟の底で鋭い光を放っている。
こどもたちはその目を見て、ぎょっとする。
『……こんばんは、丸山です』
丸山はみんなを代表して挨拶する。後ろで三人が頭をペコリと下げる。
『あの……僕たち、バット職人を訪ねて来たんです。ホーム・ページで見たんです。ホームラン・バットが欲しくて……』
それを聞いて、老人は真っ赤な顔をして、目を血走らせる。
『またホームラン・バットか。とっとと帰りやがれ!』
老人は、突然、大きな声で叫ぶ。
四人はびっくりして石のように固まってしまう。まるで宿題を忘れて教壇の前に立たされた生徒のようだ。いったい、どうしたんだ?この老人は何を怒っているのだろう?
丸山はこどもらしい精一杯の笑顔を作って、もう一度、ホームラン・バットが欲しいと思い切って言う。
『何のことだ?ワシにはさっぱり分からん。帰れ、帰れ!ホーム・ページが何だって?ワシには関係ない。それにガキにやるようなバットは一本もない』
老人は歯をむき出し、口泡を飛ばして怒鳴りつける。手に持ったバットをこどもたちに向かって振りまわすのだ。
『うわっ』
バットの先がこどもたちの顔の近くをヒュッとかすめる。こどもたちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
しかし、老人が怒るのも無理はない。老人の作るバットは、彼の意に反してホーム・ページに載せられて、いつの間にか“打てば、必ずホームランになるバット”になってしまった。ホーム・ページに映っていた男に“まぼろしのバット職人”に仕立て上げられてしまったのだ。
インターネットを見た人たちが、ホームラン・バットをくれ、と大挙して押しかける。バット作りに心血を注いできた老人にとって、これは迷惑以外の何ものでもない。特に、騒々しくて落ち着きのないこどもは大嫌いなのだ。
『ガウルッー』
庭の生垣から真っ黒な犬が顔をつき出し牙を剥く。庭に放し飼いにされた獰猛なシェパードだ。黒目の周りを真っ赤に充血させて、こどもたちを狂ったような形相で睨み付ける。
『さあ、帰れ!さもないと、こいつが塀を飛び越えてお前たちの喉に噛み付くぞ!』
バットを振りかざした老人、歯をむき出す黒い犬、そして坂道を転がり落ちるように走り去るこどもたち……。
※この小説(ノベル)"まぼろしのバット"の著作権は第1回みんなのライトノベルコンテスト作品さんに属します。
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